20世紀の東北アジアにおける人口移動と「華」(<特集>移住先社会と中国のあいだで-近現代史における「華」を問う)
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概要
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1860年の北京条約以降,ロシアによるウラジオストク建設,中国の北方三港の開港,日本の開港によって中国人,日本人が極東ロシアへ出稼ぎに出るようになった。さらにハルビン市の建設によって,中国人も日本人もロシア人の動きに伴って,ハルビンに活動の場を広げた。ロシア人支配下において中国人移民と日本人移民には類似点がみられたが,ロシア勢力の後退のなかでハルビンにおける両者の立場は変化した。中国人移民は華僑ともいうべき立場から居住民としての実質を整えたのに対し,日本人移民はあくまで居留民の立場にあった。本稿では中国人移民と日本人移民とを比較することによって,東北アジアにおける華僑について考察する。
- 2011-02-25