植民地支配下におけるミクロネシア社会の変容 : ポーンペイ島とヤップ島の事例より
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概要
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ミクロネシア連邦の島々は,スペイン,ドイツ,日本,アメリカ支配を受け,宗主国ごとに共通の統治方針に基づいた諸政策が実施された。しかし,各島社会の変容のあり方は多様である。本稿は,ポーンペイ社会とヤップ社会の比較を通じて,ミクロネシア連邦の島々で展開する変容の多様性を検討する試みである。植民地以前のポーンペイ社会には,島全体を統括する政体が存在せず,母系制が首長制および土地制度の基盤となっていた。一方,ヤップ社会には島全体を統括する政体が存在し,土地制度が首長制の基盤となっていた。両社会ではその後,植民地政府によって様々な政策が実施された。その結果,ポーンペイ社会では母系割と土地制度の結びつきや首長の土地権は失われたのに対し,ヤップ社会では植民地以前の社会制度が維持されている。また,ポーンペイ社会では首長制が政府に対する政治的権限を持たないのに対し,ヤップ社会では首長制が政府の政治の一翼を担っている。このように,ポーンペイ社会とヤップ社会では,同じ統治方針に基づく政策が実施されたにもかかわらず,変容のあり方は大きく異なっている。しかし近年の植民地研究は,近代政治における文化的言説の分析に重点を置く一方で,近代政治を取りまく日常生活の実践における,地域社会独自の慣習の柔軟性を軽視しがちである。本稿はこうした問題点を踏まえた上で,ポーンペイ社会とヤップ社会の変容の相違を,慣習的社会制度,植民地政府の統治方針と政策,人々の対応に注目しつつ検討する。
- 2000-09-30