王維詩に見える「悠然」-唐代における陶淵明詩受容研究の一環として-
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概要
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本稿は唐代における陶淵明受容研究の一環として、盛唐の王維詩に見える「悠然」の語について検討したものである。この「悠然」の語は、陶淵明の「飲酒二十首」その五の「悠然として南山を見る」に見えるものである。この「悠然」には様々な問題があり、筆者は、かつてそれらの論考を整理し、さらに「悠然」について検討を加えたことがある。その際、調査の対象を陶淵明以前の詩文に限定して行った。その後、陶淵明よりも後の時代の「悠然」が如何に詠まれているのか調査することが必要だと考え、まず、王維詩における「悠然」の言葉の検討を試みるに至った。王維は、陶淵明の影響を受けた人物であることは周知のことである。王維詩には計三例の「悠然」が見え、三首にそれぞれ一例ずつある。三首のうち二首には明らかに陶淵明の影響を見ることができるのだが、同詩に用いられている「悠然」は陶淵明の用法とは異なる意味で用いられている。この点から筆者は、王維は陶淵明と異なる用法をあえて用いることにより、王維自身の「寂寞」の境地を詩に表現したのではないかと考えた。
- 2011-03-01
著者
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