家計資金のリスク挑戦に対するセーフティ・ネットの一考察
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概要
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セーフティ・ネットという表現は、もともとサーカスの空中ブランコの下に張ってあるネットのことである。それが日本で一般的に使われるようになったのは、数年前、金融機関の経営破綻が相次いだときであったと思うが、その定義は必ずしもはっきりしたものではない。ここでは、金融、証券、保険、年金などに投下される家計資金のリスクを回避するためのセーフティ・ネットというやや限定された意味で用いた。まず、日本より10年以上早く、1986年に証券ビッグバンを実施し、その同じ年に「金融サービス法」も制定し、個人投資家を保護することにしたイギリスの例を取り上げてレビューした。ところが、イギリスではその後、歴史上まれに見るような数々の金融不祥事に見舞われた。なかでも、個人年金の「不正販売事件」では、約40万人に対し30億ボンド(=6000億円弱)の補償金が支払われた。こうした事態を改善するため、97年に発足した労働党政権は、98年から「第二のビッグバン」と呼ばれる大改革に乗り出した。この改革のなかで、それまでいくつかに分かれていた金融サービス監督機関はFSA、フィナンシャル・サービス・オーソリティに一元化され、金融サービス法を強化した金融サービス市場法も2000年に制定されている。このようにイギリスは試行錯誤しながら、セーフティ・ネットを構築してきたが、規制緩和の国、アメリカの場合はどうか。たしかに金融分野でも規制の緩和がすすみ、競争が活発になっているが、その一方で、政府だけでなく、業界団体、非営利団体、消費者団体などによって、多層的なセーフティ・ネットが維持されている。しかも、活発な競争によって、消費者は金融商品選択の幅が広がり、そのことがまた一つのセーフティ・ネットになっているのである。日本は、たしかに金融ビッグバンで「護送船団方式」の規制は撤廃されてきている。2001年4月から「消費者契約法」と「金融商品販売法」という二つのセーフティ・ネット関連の法律が施行されたが、これではとても十分とは言えそうにない。日本の金融セーフティ・ネットの状態は、数々の不祥事が起こる直前の80年代後半のイギリスと似ている。イギリスやアメリカの経験に学びながら、日本的なセーフティ・ネットの構築を急ぐ必要に迫られている。
- 2001-11-30