前川峯雄における「体育目標」に関する考察 : 体育学習指導要領(1958年)の公布前と公布後の変化を中心として
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概要
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戦後,活発に行われた生活体育は,1958年の国の法的拘束力を持つ学習指導要領の公布により,少しずつ運動文化中心に変わってきた。このような変化の中で生活体育の提唱者の考え方がどのように変わったのか,ということを究明することが本研究の目的である。本研究は,生活体育の提唱者の代表者である前川の1954年の『体育科教育法』,1958年の学習指導要領の体育目標に関する論文と,1961年の『体育科教育法』などの著書・論文を分析の対象として,彼の体育目標観及び具体的な体育目標に対する考え方の変化を考察した。その結果,次のようなことが明らかになった。1.一般化された生活体育の教育目標から,より具体的な「からだづくり」「よき運動生活」などの体育目標が導き出された。2.「身体活動」=「運動生活」=「生活領域」というモデルから,「運動による教育」が発展した。3.体育の目標,一般目標,特殊目標というような複雑な目標構成から体育目標の簡単化へと変化し,その内容は運動中心となった。4.目標の設定を中心とすることから「手近な目標」の実現へと変化し,体育科教育の過程を重視する立場が明瞭になった。
- 2006-06-20
著者
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