土木研究所鹿島水理試験所(研究所めぐり その2)
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概要
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建設省の付属機関として,土木研究所の前身である土木試験所が誕生したのは大正11年のことであり,初代所長には牧野彦七博士が任命され,主として道路材料や築造維持に関する試験調査を行なった。その後次第に土木一般の試験研究を行なうようになり,三代物部博士の時代には赤羽に河川,港湾など水理関係の試験設備が新設され,内務省の行なう河川,港湾の工事に関する模型実験や,基礎研究が広く行なわれるようになった。この時代は日本の水理学の創成期であり,物部博士の指導のもとに今日水工学関係で活曜しておられる多数の人材を輩出している。終戦を迎えて内務省は解体しその後戦災復興院を経て現在の建設省となり,特に戦後,治山・治水の要請と水力電気を始めとする多目的開発が叫ばれていたために,ダム関係の模型実験や研究がかなり盛んに行なわれたが,一方海岸防災の面においてもかなり基礎的な研究が広範囲に実施されてきている。昭和29年には,昭和28年のジエーン台風を契機としてこの面における一層の充実を図るために海岸研究室が発足し,海岸防災一般に関して広く研究が行なわれるようになった。たまたま,昭和34年9月名古屋地方を襲った台風15号は,伊勢湾の高潮時と一致し干拓地帯を始め河川河口部の堤防を至る所破壊し,未曽有の大災害をもたらすことになった。被害をうけた構造物,とくに海岸,河川の堤防,護岸の被害の状況を検討した結果従来の土木構造物の設計並に施工の面でいろいろ解決すべき問題の多いことが指摘され,土木研究所としても,これらの解明に力を尽すこととなった。高潮,波浪などの水理現象の解明に対しては,大型の模型実験によることが,一般に有利であり,従来も多く試みられてきたが,そのためには,模型を歪めないで必要な精度を得るために,かなり大規模な模型を作らねばならない。当時の赤羽分室,及び篠崎分室の敷地面積ではとてもこれらの要求を満足することができないために,新しく茨城県の鹿島灘に面した砂丘地帯に実験所が開設されることになった。
- 日本海洋学会の論文
- 1963-08-25