「三夢記」考
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概要
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専修寺には建長二年(一二五〇)に親鸞が末娘覚信尼に与えたとされる「建長二年文書(「三夢記」)」が伝来している。従来後世の偽作とされてきたこの文書であるが、古田武彦が『親鸞思想-その史料批判』(冨山房、一九七五年)等において真作説を提唱して以来その真偽が議論されてきた。今回筆者は「三夢記」に添えられた「書簡」の「親鸞が建長二年、覚信尼の要請に応えて『四十八願文』とともに「かたみ」として与えた」という記述に着目、検討を加え、「三夢記」が偽作であること、併せて、元久二年(一二〇五)の親鸞の改名-従来は「綽空」から「善信」への改名であると考えられていたが、筆者はこれを「親鸞」への改名であると考える-を促したとされる建久二年(一一九一・親鸞十九歳)の磯長の聖徳太子廟での夢告が史実ではないことを論証していくこととする。
- 2010-12-30
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