法然房源空の二門判と二行判 : その能否と難易、勝劣について
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概要
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浄土宗の開祖とされる法然房源空(長承二年[一一三三年]-建暦二年[一二一二年])は、自分たちのような凡夫は浄土門に入り弥陀の本願たる念仏を専修すべきだと主張した。先行研究では漠然と、源空が聖道門と諸行を捨てたのはそれらが無益で劣ったものだからだ、と理解することが多かった。しかしながら、本稿は斯かる通説に反論するものである。源空が主著『選択集』で述べたのは、聖道門も諸行も十分に有益かつ深勝だが一切諸機に相応しないため、それらによる証悟や往生は決して不可能でないものの困難かつ不確実だ、ということであった。すなわち、それらを捨てて念仏を専修すべき理由は、念仏だけが確実に往生できる行だということにあった。結論として、すべての仏弟子は念仏を専修しなければならない、などと源空は脅迫しなかった。本研究の結果は、『選択集』における源空の教判が、従来想像されていたよりもかなり穏和であったことを示すものであろう。
- 2010-12-30
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