外国語教育における芸術作品の意義に関する一考察 : 教材として自然であるという前提の解明をとおして
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概要
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外国語の授業では,芸術作品が有用な教材としてしばしば用いられるが,外国語教育研究においてはその意義について,「芸術作品は教材として自然である」という主張が前提とされることが多い。本稿はこの前提の意味を明らかにすることを試みる。まず,芸術作品の教材としての自然さは,教材研究での「真正性」という概念と無関係には論じられない。だが,そもそも外国語教育で真正性が問題となるのは,教室で学習する言葉がコンテクストから分離しているという事態による。そこで,この事態を,「場面の脈絡」という概念に基づいて考察すると,文法とは異なるレベルでの指導の必要性が示される。だが,この指導は,単に,言語が使用される場面に基づくものではなく,「コミュニケーション能力」にかかわるものである。ところが,コミュニケーション能力は,現在,多種多様な観点を示す曖昧な術語として用いられている。そこで,問題となっている前提を解明するには,ハイムズによる定義や,キャナーレイによる四区分に立ち戻って,コミュニケーション能力を再検討し,さらに,「一貫性」という概念を考察する必要がある。これらの考察により,芸術作品は,文や対話には表現されていない言葉に学習者を着目させるように教材化される必要があり,そのことによって,文や対話がいかにして我々に自然なものとなっているのか,という本来我々に主題化されることのない事柄を教示しうることが明らかとなる。
- 2005-03-31