北部都市における公立学校の人種隔離撤廃運動 : 一九六〇年代のシカゴを事例にして
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概要
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本稿は、公立学校の人種隔離を違憲とした一九五四年のブランウン判決以後の北部都市シカゴに焦点を当て、公立学校における人種隔離撤廃運動を検討することを目的とする。その際に本稿では二つの黒人居住区の違いに注目しながら、シカゴの公立学校の人種隔離撤廃運動がどのような歴史的文脈の中で展開したのかを明らかにし、この運動の意義と限界を考察した。シカゴにおける地域レベルの黒人の改革運動は、ブラウン判決や南部の公民権運動との相互作用の中で展開した。シカゴの黒人達は公民権運動を南部の運動と捉えるのではなく、自分たちが直面していた公立学校の諸問題と重ね合わせて認識していたのである。シカゴの改革運動は、直接行動を黒人達が実践することで黒人コミュニティの潜在的な力を発揮したという点で、重要な意味があったと言える。また、サウス・サイドとウエスト・サイドという二つの黒人居住区では、都市再開発の影響や黒人内部の階級差を反映しながら、改革運動も異なる展開を見せた。黒人中産階級の南下によって白人コミュニティに進出し、白人が大多数を占める学校への黒人生徒の転校が争点化したサウス・サイドと、黒人人口の急増で黒人が集中する学校の過密化を解消することが課題となったウエスト・サイドでは、公立学校の人種隔離撤廃運動が持つ意味あいが異なっていたのである。こうした改革運動は人種統合を達成できなかった点で限界を抱えていた。連邦政府を介入させることにいったん成功したにもかかわらず、公立学校の人種隔離撤廃運動は、最後に民主党内部の政治力学によって頓挫した。この事態は多くの黒人達に黒人の政治力の弱さを認識させ、その後の政治力獲得の希求へとつながっていったのである。
- 一橋大学の論文
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