学校批判としての「教育的教授」論 : 教授学的な論理を機軸としたヘルバルトの学校批判とその教授学的意味
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
ヘルバルト(Herbart,J.F.)の「教育的教授」論は人間陶冶の一般(普遍)理論として構想されていた。しかし彼の死後すぐに,この教育学史上の卓見は近代学校システムを支える教授論に変貌を遂げる。彼自身は近代学校を擁護するどころか,「教育的教授」論を武器にして鋭い学校批判を展開していたにもかかわらず。本研究の目的は,ヘルバルトの「教育的教授」論が学校批判の論拠の中核であったばかりでなく,これが学校のオルターナティヴな機能付与の根拠となっていたことの究明を通して,教授学にいまなお指摘し得る,教授学的な問題設定の切り詰めと転倒を明らかにすることにある。このための検討課題は,第一にヘルバルトが当時の学校を批判した理由を確認することである。第二に「教育的教授」がどのように「学校における教育的教授」に歪曲されていたのかを考察して,そして第三に彼の学校構想の代替案を確認する。以上の考察から究明された彼の学校批判の教授学的意味は,本研究の帰結として次のように定式化され得る。教授学研究は,学校教授内部の微細な修正・改善だけに押し込まれるべきではなく,ヘルバルトが試みたように,学校構想そのものを規定する問題地平を持つべきである。なぜなら,こうした学校論の教授学的規定は,既存の学校のあり方に疑問を投げかける学校批判的な契機をともなうと同時に,新たな学校構想の機軸ともなり得るからである。
- 2008-03-31
著者
関連論文
- 学校批判としての「教育的教授」論 : 教授学的な論理を機軸としたヘルバルトの学校批判とその教授学的意味
- プランゲの学校における教育不要論の論理 : 「教育的教授」を解体する「教授学的差異」(Didaktische Differenz)
- ビーレフェルト実験学校と学力調査 : 学校的学びを問い直す(第2部 自由研究論文)