<ポスト哲学的>思索と<宗教的なもの> : 現代フランス哲学と京都学派の哲学から(思想としての宗教,<特集>第六十八回学術大会紀要)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
二〇世紀以降の現代において、従来の意味での哲学の存立可能性自体を根底から問い質しつつ自己解体的に展開していく哲学、その意味で<ポスト哲学的>と呼べるような哲学が台頭してきた。なかでもハイデガーの批判的継承を通してそうした種類の思索を先鋭化してきたのが、レヴィナスやデリダ、アンリといった現代フランスの哲学者たちであるが、彼らはそうした企てのために、各々独自な仕方で<宗教的>な着想や術語を大胆に換骨奪胎して再活用している。<ポスト哲学的>思索は<宗教的なもの>といかなる関係に立ちうるのか。そこからいかなる思索が立ち上がってくるのか。この問題を考えるために、彼らの思索と西田、田辺、西谷らの京都学派の宗教哲学との突き合わせを試みたい。京都学派の宗教哲学もまた、<宗教的なもの>の換骨奪胎と再活用による<ポスト哲学的思索>と見なしうるからである。「証言」(現代フランス哲学)と「自覚」(京都学派の哲学)という二つの概念が、この作業のための導きの糸となるであろう。
- 2010-03-30
著者
関連論文
- 思索と : 現代フランス哲学と京都学派の哲学から(思想としての宗教,第六十八回学術大会紀要)
- まえがき
- 対談 木村敏×杉村靖彦(聞き手) 臨床の哲学
- ブランショを読んだ田辺 (特集 日本哲学と現代)
- 末木文美士著, 『他者/死者/私-哲学と宗教のレッスン-』, 岩波書店, 二〇〇七年五月二九日刊, 四六判, v+二四一頁, 二八〇〇円+税
- 宗教哲学へ--「証言」という問題系から(2)
- 宗教哲学へ--「証言」という問題系から(1)
- 透明化する媒介--長谷先生の思索と現代フランス哲学 (シンポジウム 長谷正當先生の思想--京都宗教哲学会第四八回定例研究会[含 質疑応答])
- 証言と自覚
- J・W・ハイジック編, 『日本哲学の国際性 -海外における受容と展望-』, 世界思想社, 二〇〇六年三月三〇日刊, A5判, ix+三四二+ix頁, 二八〇〇円+税
- 悪・赦し・贈与--リクールとデリダの最後の論争
- 書評 檜垣立哉著『西田幾多郎の生命哲学--ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』
- 「困難」と「不可能」の間で--「赦し」をめぐるリクールとデリダの論争から
- 京都大学文学研究科二一世紀COEプログラム「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」講演会 シモーヌ・ヴェイユにおける善の欲望〔含 解題〕
- フランス反省哲学における神の問題--ラニョー『神についての講義』をめぐって
- ジャン・ナベールの宗教哲学--遺稿集『神の欲望』から (第六十回〔日本宗教学会〕学術大会紀要特集) -- (第二部会)
- 現代フランス哲学と「宗教哲学」の可能性 (特集 宗教哲学の行方)
- 言葉と超越--現代の宗教哲学に向けて (特集 言葉の視線)
- 物語と自己の探究--物語的自己同一性をめぐって (秋季シンポジウム:「ポール・リクールの物語理論とその展開」)
- 哲学と悪の問い--ナベール『悪論』について
- 告白の現象学--リク-ルとナベ-ル
- リク-ルの「詩学」をめぐって--その宗教的,神学的側面からの考察
- 一体なぜ〈なぜ〉なのか : ハイデガーとキリスト教神秘主義
- 科学技術時代における哲学と宗教 : H.ヨナス『責任原理』の再検討(シンポジウム企画発表)
- 為しうる人間と承認 (再認) の理念 : ポール・リクールを讃えて
- ジャン・グレーシュ氏の二つの講演について
- ナベール的自我はいかに証しされるか : 証言の解釈学に向かって
- 無力における責任:「人権」の手前へ (特集 歴史認識と歴史叙述のあいだ) -- (共同討議:責任と人権)
- 人間の「手前」へ--特異性の問いの行方 (課題研究 人間は特異な存在者か)
- 死者と象徴 : 晩年の田辺哲学から (田辺元の思想 : 没後50年を迎えて)
- 対談 田辺元の思想 (田辺元の思想 : 没後50年を迎えて)
- 諸判断の葛藤 : 記憶・証言・歴史 (2008年春季シンポジウム : 記憶の哲学と歴史叙述 : 晩年のリクールの思索から)
- 倫理的主体性をめぐって : レヴィナスとナベール