Yuktidipikaにおける知覚論の特質 : Yogasutrabhasyaとの比較を通じて
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概要
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古典サーンキヤ体系における認識論,特に知覚(pratyaksa,drsta)に関する議論は,仏教論理学派などからの外圧を受けて整備されたことが知られている.同体系の綱要書であるイーシュヴァラクリシュナ作『サーンキヤカーリカー』(Samkhyakarika,SK,4-5世紀)では知覚の概要が示されているに過ぎないが,ディグナーガ(480-540年)以降,インド哲学諸派が急速にプラマーナ論を発達させてゆく思想史的状況を受けて,SKの注釈書である『ユクティディーピカー』(Yuktidipka,YD,680-720年?)では,古典サーンキヤ思想体系のもとで知覚論の哲学的基礎付けを強固にしようとする傾向が見受けられる.そこで本論文では,YDに特徴的な知覚論の特質を,サーンキヤ学派をその形而上的基盤とするヨーガ学派の教典『ヨーガスートラ』(Yogasutra,5-6世紀?)に対する注釈であるヴィヤーサの『ヨーガスートラバーシュヤ』(Yogasutrabhasya,YSBh,6世紀?)における知覚論との顕著な類似性に着目しつつ解明する.YDは知覚論に先立って,認識手段(pramana)・認識結果(pramanaphala)論を説くに際し,認識手段は統覚機能(buddhi)を拠り所とし,認識結果は精神原理(purusa)を拠り所とすると主張する.これと同様の見解は,YSBhにも認められる.すなわち,認識手段は心(citta)に属し,認識結果は精神原理に属している,とYSBhは見なしている.またYDは,「外界対象の形相をとる感官に対する統覚機能の決定(adhyavasaya)」を知覚と見なしており,感官を媒介とし,知覚は統覚機能の作用であることを示唆している.別の箇所でYDは,統覚機能を「対象を受け取った感官の作用に従う」ものとしており,対象が感官を通じて統覚機能に影響を与えていることが窺える.その一方でYSBhでは,対象が磁石に,心が鉄に喩えられており,心が対象によって影響を受ける様が見られると同時に,対象が知覚される際には心が対象の形相をとるとしている.このYSBhの知覚論は,上記YDの知覚論と軌を一にしているといえる.上述の認識手段・認識結果論,及び知覚の様相におけるYDとYSBhの相似に加えて,ヨーガ学派特有の術語である「精神性の能力」(cetanasakti,citisakti)という用語が,YDにも散見されるという事実も挙げられる.以上検討してきたように,両書には思想的に共通している部分があると指摘できよう.
- 2010-03-25
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