近代の音楽書『歌舞音楽略史』と『古事類苑 楽舞部』 : 小中村清矩の視点を通して
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概要
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本研究は、近代日本の始まりの時点で、「音楽」がどのように認識されていたかについて、小中村清矩著『歌舞音楽略史』と『古事類苑 楽舞部』に着目し分析するものである。『古事類苑』は明治12(1880)年3月8日に当時の文部省編輯局長であった西村茂樹の建議によって、前近代の日本の文化を集大成した百科事典である。『古事類苑』編纂初期の責任者が小中村清矩(文政4(1822)年12月江戸~明治28年10月東京)である。そして同書建議の翌年、明治13年7月に執筆したのが『歌舞音楽略史』(明治21年2月刊)であった。小中村の『歌舞音楽略史』の特徴は各芸の起源と沿革とをあわせて考える点である。各芸・ジャンルを連続体とみなしながら、項目にそって各種文献から用例を列記することで、連続する動態として一定の概念を示している。また文献と共に類語も呈示されることで、用語の広まりや普及あるいは廃れる用語の現象をも推測できるものであった。この考え方は、重層化しつつ連続している前近代の音楽に対して、一連のジャンルの同種群を想定し、音楽における体系化の形成を試みていたといえる。記述は、自分の解釈を極力抑え、言辞の研究を通じて歴史的事実や知識を示していた。一方『古事類苑』は各芸・ジャンルが完全に独立した状態にわけられ、事項により資料が配列された歴史全書であった。しかし、ジャンルわけされてしまっているため、沿革や類種といった展開してゆく部分については分かりづらい。しかし、『古事類苑』は当時「大義名分論」とよばれた部立てという構造化を意図したものであった。文化全体の序列・類型化によって小項目を説明し、再び全体の構造を示すという類書の方法である。小中村が『歌舞音楽略史』で複数の枝分かれを含めて音楽を考察した視点と、文化全体の類型化のなかで音楽を考察した『古事類苑 楽舞部』ではデータ構造の考え方が大きく違っていた。しかし両書に共通して指摘できることは三点あった。まず記述方法の姿勢である。入門書や芸談ではなく、対象となる芸・ジャンルが存在したその時代の文学等を含んだ幅広い文献を求め、そこから抽出された「事実」から考察を出発し、さらに後世に書かれたもので検討する小中村の考証の仕方は、両書の基本であった。次に歌舞あるいは楽舞という書名からも、現代の「音楽music」より広範囲を対象とし、舞や芝居も含めた総合的領域を考察の対象としていたことがわかる。そして、両書の構造化の在り方は異なるものの一連の歌舞・音楽全体を対象として何らかの構造性をあたえるという発想は、近世には見られなかった視点ではなかろうか。しかし、小中村が文献実証主義を貫こうとしたにもかかわらず、文化の序列化はその後加速される。この傾向は音楽だけではなく、近代日本の社会の方向性でもあったと考えられる。
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