喜多院御室守覚法親王の口頭語資料 : 随心院蔵野決鈔の仮名交じり表記の文章を中心に
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概要
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本稿は、院政期末から鎌倉時代初頭に仁和寺を中心として、多くの撰述書を今に残し、文化的な活動が著しかった守覚法親王の著作の内、随心院蔵野決鈔を主たる資料として取り上げて論じたものである。野決鈔は、醍醐寺勝賢との諸尊法に関する問答を記した資料で、当時の他の現存資料からは、一般的であるとは思えない漢字・片仮名・平仮名・万葉仮名交じり文で書記された文章を持つ。勝賢の「答」の言語を視野に入れつつ、主として守覚の「問」を対象に、野決鈔に書記された日本語の特性を検討した。検討の結果、守覚の「問」の文章は、厳密には書記言語ではあるが、守覚の意識としては、自身の口頭語を記したと認められる資料で、そのために採用した表記体であったと考えられる。言語の内実も、当時の口頭語を書記した資料と見て矛盾がなく、当時の口頭語の範疇の再検討、個々人による言語体系差など、極めて重要な課題を提供する資料であることが判明した。
- 2009-07-01