米軍基地返還と「耕作権」保障問題 : 読谷補助飛行場の事例
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概要
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本稿は、2006年4月に米軍から返還予定の読谷補助飛行場跡地(既返還地あわせて291ha)について、現在そこで耕作を行っている者(いわゆる「黙認耕作者」)の権利保障の観点から考察する。読谷補助飛行場は、かつては旧日本軍が沖縄戦に備え、住民の土地を強引に「買収」したものであり、旧土地所有者は村と一緒になって、その返還を求めてきた。今回この要求が実現したものであるが、国は、問題解決の枠組みを、国から村に売り渡した上で、村は、跡地利用計画を国の補助事業を活用しながら実施する。農業区域については、旧土地所有者が参加する農業生産法人が先進的農業を行う。生産法人の形態は、株式会社形態をとる。将来的には、村は、この法人へ土地所有権を移転する。このような枠組みのもとで、いわゆる「戦後処理」がなされようとしている。しかしながら、米軍が基地を接収し、住民を追い出していく中で、自然発生的に基地内で耕作を行う者が生じてきた。これを黙認耕作と呼び、土地所有者である場合もそうでない場合もある。このようにして、今日まで続いている黙認耕作については、国はこれを不法占拠者として、村とともに、立ち退きを迫った。黙認耕作者の抵抗のため、実施計画策定の前には、立ち退きを約束した耕作者のみを、法人に参加させることにした。これは、黙認耕作者の75%にあたる。これらの者がどのような形で、法人に参加できるかは今後注視しなければならない。その他の耕作者は、自身が旧土地所有者である者も多いのであるが、あくまで法人とは別個に、黙認耕作者にも土地の売渡を求めている。今後、強制的な排除がありうるのか懸念される。黙認耕作は、生存のために基地に接収された所は至る所で自然発生的に生じた。1959年布令20号によって、耕作・薪炭採取許可証を市町村長に交付することによって法的に認められてきた。復帰後は、地位協定による基地管理権に基づいている。国や村は、返還後は、耕作者は不法占拠者になるとする。
- 2006-03-31