「境界」の脱構築と倫理 : 「ドリー以後」における人間の自己理解を中心にして(<特集>宗教と倫理)
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概要
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「クローン羊ドリー」をめぐる論争が示すように、遺伝子工学を含む昨今の生命科学は、人間の自己についての理解に新たな問いを投げかけ、それによって、自己と他者の間の境界を始め、人間と自然の間の境界、さらには、人間と神の間の境界についての既存の観念は大きく揺らいでいる。特に、神による「創造の秩序」を実在理解の基本とするキリスト教世界においては、生命科学が提起する問題は極めて深刻に受けとめられている。倫理とはこうした「境界」をめぐる議論であるということを考えてみると、生命工学的試みが倫理的問いを伴うことは当然であろう。キリスト教においては、こうした倫理的問題が「神を演じる」(Paying God)という観念の下で議論される。本稿は、生命科学と倫理の関係性と、生命科学によってもたらされた新たな自己理解について論じることによって、生命科学によってもたらされる自己理解の倫理的意味について考察する。
- 2009-09-30
著者
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