「パリのアメリカ人」:1923年のジェラルド・マーフィー(II)
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概要
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本稿は、前稿にひきつづき、一九二〇年代のパリで「画家」となったアメリカ人ジェラルド・マーフィー(一八八八│一九六四)に焦点を合わせ、二〇世紀に著しい「移動」の問題を「パリのアメリカニスム」との関連から再検討するものである。 前号の内容を含めて、概要を示せば、以下のようになるだろう。 「一、マーフィーとナターリア・ゴンチャローヴァ」では、「モンパルナスの仮装舞踏会」や「バレエの初演」を検討する過程で、ロシアの画家ゴンチャローヴァの芸術的薫陶を受けた絵画の初心者マーフィーの姿が覗見された。「二、マーフィーとパブロ・ピカソ」では、「アメリカ的なもの」に関心を寄せるピカソとアメリカ人マーフィーがいかに親密な交際を続けたかが確認された。「三、マーフィーとフェルナン・レジェ」では、レジェ独自の美学に寄り添いながら、しかし自己固有の「アメリカ的」絵画を制作するマーフィーの姿が浮き彫りになった。 以上の考察から得られた結論を再説するならば、つぎのごとくである。絵画の門外漢マーフィーは、アメリカを離れてフランスに渡ったのち、無数の偶然にして実り豊かな出会いを通じて画家としての成熟を遂げ、一九二〇年代のパリの美的動向、すなわち摩天楼とジャズへの憧憬に彩られた「アメリカニスム」に大きな意義と役割を担う芸術家に変貌していった。ジェラルド・マーフィーが「移動」あるいは「移動の美術史」の問題系列に重要な位置を占めていることはだれしも否定できない。マーフィーこそは「移動」のもたらす恩恵を自己の必須の養分に転化しえた幸福な画家の典型のひとりということができるのである。
- 2009-09-15
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