メトラカトラ・システム-北西海岸における対立と統合の社会史-
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概要
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史実と伝説の中間に位置するハーメルンの笛吹に関する伝承と宣教師ウィリアム・ダンカンの評価には共通点が存在する。それは両者が人々を災厄から救い出したのと同時に社会的な恐れや不安をもたらした両義的な存在であるという点である。超自然的な世界観では,このような両義的な存在は数多く看取可能であるが,少なくともダンカンは明らかに歴史上実在した人物である。ところが,現在でも定性的な評価がなされることなく,むしろ称賛と批判に大きく分かれている。 本論は19世紀にカナダのブリティッシュ・コロンビア州に居住するチムシアン社会に布教活動に訪れた宣教師ウィリアム・ダンカンが自ら傾倒した理想を実現するために建設した「メトラカトラ」の社会システムに関して通時的分析を試みたものである。ダンカンに指導されたチムシアンたちは,その後アラスカに移住し,現在はアラスカ・チムシアンと呼ばれている。そして彼らの居住する集落もやはりメトラカトラと呼ばれている。カナダのメトラカトラでダンカンが実践した社会システムを体系的に明示しておくことは,彼らのアラスカでの成功と葛藤の理由や背景の解明に有効であると考えられる。なぜなら,彼がアラスカで実践した数々の施策や布教は,その殆どが既にカナダにおいて試行されたものだからである。このため,本論ではメトラカトラの社会史の整理を通して,ダンカンとチムシアン社会との間で発生した様々な対立と連帯に関して整理記述することも目的としている。
- 2009-03-31