スピノザの政治理論における政体論の展開(1)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
上記のものが,スピノザのいう君主制国家の構想であるが,この構想に関連して以下のような諸特徴が,指摘されることを追加しなければならない。スピノザの君主制の構想は,顧問会議,市民軍,土地の共有制という三つのものを主な要素として構成されている。この構想はメンツェルその他が指摘しているように,アラゴンの国家史やスペイン絶対王制の歴史に関する知識によっても,またオランダの当時の政治的歴史的状況についてのスピノザ自身の知識によっても規定されていることを否定することはできない。スピノザ自身が随所において指摘し,言及しているように君主派と共和派との緊張は,1672年における君主派の勝利をもたらし,これを契機としてオランダは,君主制国家へと移行することになった。この事件を契機とする君主派の復位は,スピノザが,充分に識りえたところであり,またオランダはこれをほぼ画期として「泥沼のような停滞の時代」あるいは「かつらの時代」に移行したことは,諸研究によって認められるところである。スピノザは,これらの動向を予測できる位置にあったと思われる。このことは顧問会議の構成と機能においてその一端を識ることができるといえよう。すでにみたように顧問会議は,一方では君主に対する助言の機関であり,他方では民意を識る機関であった。また君主の意志の実行機関として機能するものであり,司法会議に対して指揮統制の権能をもつ機関であった。したがって実質的には,立法および行政機関として機能するものといわねばならない。言いかえれば君主の権力は,事実上,剥奪されるということができる。スピノザは,この顧問会議の構成を「家族」とこれの連合である「氏族」に求めたが,この場合,この家族が従って君主制国家の基礎であるといわねばならない。君主制国家構想に認められるこの特徴は,スピノザみずから認めているように,共同体的(ゲマイリシヤフトリツヒ)であり,それゆえ自然的であるが,これは,ボーダンやアルトシュウスの君主制論の基礎を思い起こさせる。アリストテレスに従ってボーダンは君主制の基礎を,「家族」に求めたが,この家族は,夫の妻に,子息,親類縁者ならびに使僕に対する家父長の権威によって結束し,すべてが生活の資源と手段とを分けもつ自然な社会である。ローマ法に依拠するこの家父長家族を,ボーダンは,アリストテレスがその経済的意味を重視したのと異なって,家族成員に対する服従訓練を重視して道徳的政治的意味を強調している。したがってこれは,一大社会権力である。ボーダンにおいては,これが特徴であるが,君主権力の支持基盤となった。スピノザも同様に,君主制国家の基礎を家族に求めたことは上述の通りであるが,家族の社会的基盤は,顧問官の出自について彼が言及しているように,その基盤は,通商と金融とにあるから,いわゆる「都市貴族」であるが,この事情は,オランダの社会経済構城の特徴と一致する。したがってスピノザがいう家族は,この意味におけるものであるということができる。それは,グロチュースやウイットの出自のような家族をも含む一大社会的権力である96)。スピノザは,この種の家族の代表をもって顧問会議を構成することを提案したのであった。いいかえれば「長老支配」が君主制の内実をなすといえよう。他方において君主は,顧問会議が集約する諸提案の採択とその公布以外に重要な役割を果たしえず,したがって「弱々しいなぐさめ」と化している。あるいはいうなれば象徴あるいはバジョットのいう「尊厳的部分」と化している。「君主」は,アルトシュウスのいう「総督」(Ephor)に踏み止まることもできず,ユトレヒト同盟規約にいう連邦議会における調停者,軍事指揮者でもありえない。このスピノザの構想は,オランダ運動の主流をなしたリプシュウスの啓蒙君主論ならびにアムステルダム市長ホーフトによって主張された「効用的君主」論とこれを支持する共和派内保守派の君主待望論やさらにこれに関連したカルバニスト=君主派の君主論に対する強烈な批判を含むものといわねばならない。いま少し視野を拡大すれば,スピノザの君主制構想は,ボーダンの権威的君主制と君主の効用に依存するホッブズの君主制論のみならず,イギリス憲法史上中世以来論争の一つとなり,後に国王大権を認めたロックに反対するものということができよう。君主と顧問会議との関係は,ポロックによれば19世紀におけるイギリス議会制と君主との関係を想起せしめるものであるが,マクシャーは,ポロックのこの解釈を認めながらも,スピノザの君主を「単なる頭首,看板」と評し,君主は,いかなる理由によって君主たりうるのか,と問い,この種の君主の言葉あるいは約束を額面通りうけとるのは,最高権力の権利なるものに全く無知なおろかもののみであろう,と論じて,スピノザの君主制構想が,君主のために主権を,国民のために平和と自由とを確保することを目標としたことを認めても,スピノザの政体論において,君主制は,もっとも好まれることの少なかったものであり,かつ君主制に対し,相かわらぬ不信を抱いていたことは明らかであるというが,われわれも,彼の政体論の原則からしてもまた現実批判からいっても,マクシャーのこの見解を支持しなければならない。
著者
関連論文
- スピノザの政治理論における政体論の展開(1)
- 政治過程論の批判的検討 : D. E.トルーマンの政府概念をめぐって
- スピノザの政治理論における政体論の展開(2)
- スピノザ政治理論の基底(3)
- スピノザ政治理論の基底(2)
- スピノザ政治理論の生成(承前)
- スピノザ政治理論の生成
- スピノザ政治理論の基底 : 『知性改善論』を中心にして
- マキャベリの政治理論の基礎 : 歴史的方法について
- ラスキの民主主義理論(3)
- ラスキの民主主義理論(2)
- ロバート・E・ドウズ著, 『労働党左派-独立労働党1893〜1940』
- ラスキの民主主義理論(1)