清末から民国期にかけての広東・江西に跨るタングステン開発
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概要
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民国期の江西省は瑞金ソビエトの樹立等,華南地方の一部というよりは江西一省が政治史上で語られる傾向があり,産業の発展が遅れていた江西南部が注目を集める事は殆ど無かった。しかし19世紀末にタングステンの鉱床が同地で発見されたのを皮切りに,寧ろ広東人がその採掘を手がけ始め,第一次世界大戦時における需要の高まりもあって1918年以降次々に鉱床が発見された。これに対して江西当局の姿勢は鈍重とも言えるもので,タングステン鉱局の設立は1935年である。1926年以降江西南部では国民革命軍の北伐を皮切りに国民党と共産党の衝突が続き,江西南部のタングステン採掘業もこの複雑な政局に巻き込まれるが,中華ソビエトの下でも採掘業は続けられるなど政治とは異なる経済の動きを見ることが出来る。
- 2009-03-25