『現代の英雄』におけるバイロンイメージ
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概要
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本稿は、『現代の英雄』においてバイロンの人物形象がどのように反映されているかについて考察している。レールモントフはその初期においてバイロンに深く傾倒し、自らとバイロンとの類似点をその手記に認めては興奮していたほどである。だが同時にまた「ぼくはバイロンではない」と宣言するような詩も残している。本稿においてはまず、こうした熱狂を端緒とするバイロンへの関心が作家の初期創作活動のなかでどのような変化を遂げたか、その詩や翻訳から読み解こうとした。そこから初期レールモントフがバイロンに対して独自性を求め反発しようとしながらも、この英国詩人への拘りを捨てきれないでいる姿が浮かび上がる。こうしたバイロンへの拘りと反発が後期の代表作『現代の英雄』において主人公の形象の中に昇華されている。筆者は、ペチョーリンの人物形象にバイロンの諸特徴が意識的に利用されていると考える。「ペチョーリンの手記」と『バイロンの日記と手紙』を比較検討すると、両者の文体・思索・感情面での類似性に気づく。一方、ある程度客観的な見方を提示している「私」は、マクシム・マクシムィチから聞いたペチョーリンの苦悩の告白をバイロン的だと判断している。さらに彼は、バイロンの模倣がすでに時代遅れであり、本当の苦悩は隠されるべきであることも指摘する。実際この当時バイロンの流行は多くの模倣者のせいで退潮しており、またこの小説ではバイロニスト的なひけらかされる苦悩がグルシニツキーの兵隊外套に反映されている。以上のような状況にあって、「時代の英雄」ペチョーリンがなおも「隠されるべき」手記の中でバイロン的であるのはどういうことか。グルシニツキーと比べれば、ペチョーリンの苦悩は明らかに真実のものである。だがその表れ方は前世代の英雄バイロンを想起させずにはいられない。ここには真実の苦悩すら模倣に見えてしまうやりきれなさがひとつの時代の典型として映し出されている。
- 2009-03-30
著者
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