Politeness Begins : Its Underlying Meaning and Psychological Analysis(Language)
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概要
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本稿はポライトネスの由来を人間の根本の性に求めて探求する。従来ポライトネスの研究は普遍的な定義を求め、そのためこの30年余りさまざまな議論がなされてきた。しかし「円滑なコミュニケーションを図るため」というのは定義よりもポライトネスの目的を示しているにすぎない。また、「改まり」、「faceを守る」、「社会の儀礼」といった定義はある言語に当てはまっても他言語に当てはまらないという普遍性を覆すものとして批判も多々あった。それらは、一定の社会に起きるポライトネスの現象から帰納的に摘出したものだからである。つまりこれらの定義は「社会性」を帯びた定義だからである。一旦社会性を帯びた定義は普遍性からはずれる。たとえばBrown & Levinsonのfaceにおいても個人主義社会のfaceであると批判を浴びたのも、faceは社会性を帯びた要素であるからである。ある社会ではそれは個人の名誉かもしれないが、ほかの社会ではそれは個人の所属するグループの名誉に関することと解釈されるからである。そこで本稿では、人間の根本の欲求、つまり社会とかかわりあいたいという一面と社会から自由になりたいという相反する一面に焦点をあて、そのバランスを取るために必要な条件がポライトネスであると説く。また、ポライトネスの根本は、人間が回りの全ての価値判断をする性質にあり、その個人の価値判断が歴史的に因習化され社会化されたものがその文化のポライトネスの現象であると説く。このようなポライトネスの根本原理の前では、従来のfaceの問題、個人主義と集団主義によってポライトネスの概念は異なるという議論は起こり得ない。人間の生来持つ心理原理に由来するからである。