社会学の方法論としての社会調査
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概要
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日々起こるでき事に対して、マスコミの見落した点を点検しているうちに、自然とわたし自身が関係した"調査"についての反省ということにつながった。既存の"知識"から出発した結果、調査はいつも"見落し"があることに気付いた。自己の"知識"の限界である。この見落しは2つの系列に区分することができる。1つは自分自身の対象に迫る姿勢に関するものであり、いま1つは対象化される対象の状態に関するものである。前者はまず3つの段階に区分できる。(1)自明なモノゴトを無条件に是認する、(2)"確かなモノゴドと考えられているモノゴトを改めて吟味する、即ち対象として意識する、(3)吟味の方法的検討の拠点として自分と対象の関係を問う段階である。(3)は更に自他未分から始まって他者が対象とされるに至り自分の問題として考えるという段階に区分される。当事者としての自覚することによって、受身の我から積極的な我に変化する。社会学の方法としての社会調査は、時間的存在として歴史を生きることとなる。意味を問うことに始まる自覚の後至性は、空間的な広がり、そこで生活が営まれる環境の限界を空間的に超えるという体験ではなくて、時間的に自己にとって意識化され、自己の意識としての自覚に至るとともに、単なる第三者としての傍観者観察という営みから、行為者、生きる全体としての生活者としての自覚、それはまた当事者として受身から能動的な我の自覚を意味している。時間的存在としての自覚は、確定した過去と未定の未来という矛盾の一方を切り捨てることではなくて、矛盾したモノゴトを含む新しい全体を積極的に創り出すためのある幅をもった現在を設定するという視点から捉え直すという働きに結びつく。見落しを積極的に創り出すことによって、社会調査の資料は、歴史学の史料とつながることになる。環境は単に自然・社会・文化といった形で"知識"化されたモノゴトのあり様から主体として個がそこで生きる社会的状況として捉え直すことによって意味をもつことになる。住む世界の拡大と意識化の深化とは呼応して行うことによって初めて実態に近づくことになる。この視点から見落したものを積極的に見直すことによって意味をもつことになる。歴史学が現在の体制において自明とされる前提に立つことの見落しは、都市と農村の相関する協同研究によって補足される必要がある。社会的差別は被害者の側の視点-勝つ強さのみが強調されるが負けない強さは視座の変更を必要とする-に立つことによって初めて解決の途を見出すことになる。
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