函館の育児規程について : 開拓使管内窮民賑恤規則再考
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概要
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戦前の函館には、明治、大正、昭和と続いた育児規程があった。規程は、「育児講」に起源をもち、函館の行政の形態が、区から市になっても継続した。これは、父母らの手による養育が困難な子どもたちを救済した規程である。規程を守り続けた函館と吏員の努力を軽視してはならない。しかし、函館独自の育児規程の展開と意義が、社会福祉の観点をもって論じられたことはない。
- 名寄市立大学の論文
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