ハント発ライマン宛書簡 : 日本地質学の揺籃期におけるその影響
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概要
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ライマンは米国マサチューセッツ州生まれ,ハーバード大学卒の典型的"ニューイングランド人"である.彼がお雇い外国人地質学者として日本に滞在していたとき,専門用語の統一,古生物学名命名規約の確立,そして地質図規格標準化などの重要課題を解決するためにIGC(The International Geological Congress)創設が提案され,その実現のため米国ボストンに"フィラデルフィアIGC創設委員会"が,1875年組織された.James Hallを会長とし,多くのニューイングランド人著名地質学者の主導するIGC創設委員会は,1878年パリ万国博覧会にあわせてIGC創立大会を計画し,そのための回状を,1876年の晩秋世界の主要地質学研究組織(大学および地質調査所)に送付した.当時の日本には大学も地質調査所もなかったため,フィラデルフィアIGC創設委員会の事務局長だったThomas Sterry Huntは,日本に通知するに当たり,知人でありかつ"Geological Survey of Hokkaido"の代表だったライマンに宛て,友人としての私信を添え第1回IGC開催に関する回状を送付した.北米ニューイングランド地方ゆかりの著名地質学者たちから構成されていたフィラデルフィアIGC創設委員会が,同郷の地質学者であるライマンに回状を送ったことにより,揺籃期日本地質学は世界の地質学界の大きな潮流と確かに結びつけられた.そのほか筆者は1876年11月7日付ハント発ライマン宛書簡の内容について詳しく分析を加え,それが当時の日本地質学に与えた影響について科学史的見地より論じた.
- 2009-03-25
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