植民地支配下および解放後の日本語教育 : 日本語教科書と韓国人からの聞き取りをてがかりに
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概要
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小論は、平成17年度文部科学省科学研究費基盤研究C[東アジアにおける1945年以降の日本語教育の自律と変容に関する調査研究](代表:杏林大学本田弘之教授)に関わる研究の報告である。本プロジェクトは、朝鮮半島と同様に過去に日本によって植民地化され、当地の人々に日本語を国語として強要されてきた台湾と中国の旧満州地域を調査対象地域として、それぞれに共通した要素と、個々の独自性を探ろうとするものである。小生は、その中で、朝鮮半島における日本語教育の史的側面を分担してきたのであるが、過去の継続的な業績としては、(1)日本語を強要された世代から、当時の言語教育とその周辺の実態をインタビューの再録をてがかりとして、その実像に迫ろうとした「戦時下の日本語教育一韓国の場合(1)-」(『龍谷大学国際センター研究年報』、第15号、2006.3)と、(2)1980年代当時に採用された高等学校日本語教科書、全5社(上・下)の計10冊を資料として、その中に現出している語彙リストから文化\習慣などの非言語事項を抜き出し、〈日本的なるもの〉〈韓国的なるもの〉〈その他の国・地域的な要素〉の3種に分類して、当時の日本語教育と日本文化の受容状況を探った「戦後の日本語教育-韓国の1980年代の高校日本語教科書を手がかりに-」(『龍谷大学国際センター研究年報』、第16号、2007.3)とがある。小論は、これらの調査で得た資料を活用しながら、継続発展させようとするものである。1965年に日韓基本条約が締結されるに伴って、韓国では日本語教育が復活した。具体的には高等学校では1973年に第2外国語の選択科目に加えられた。またそれに伴って大学における日本語の教員養成課程の設置が急がれてきた。また、放送通信大学でも、テレビやラジオでも日本語講座は、盛況で韓国の日本語教育は戦中戦後の45年間に及ぶ国語・母語としての姿から、戦後28年間に及ぶ空白期を経て、今日隆盛を見るに至っている。1970年代後半には日本語ブームが起こり、大学の入学試験科目に加えられたりしている。
著者
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