楽器名「三味線」の定着
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概要
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永禄のころ本土中央に伝来したとされる三味線は、はやくも江戸時代初期には盛行する。しかし、名称は「しやみせん」や「さみせん」などと、仮名で書かれることが多く、寛永以後、京都の俳諧の分野で「三味線」とされることがあっても、それがただちに他に波及することはなかった。伝来から約百年を経た万治年間になると、ようやく俳諧書以外にも「三味線」が見られるようになり、寛文に入って急速にそれが普及していく。寛文四年刊の音楽文献『糸竹初心集』で「三味線」が採用されたことによって、まずは京都で漢字表記「三味線」が定着したと見てよいが、そこにいたる急速な普及には、仮名草子作品を数多く著した浅井了意が、一定の役割を果たしていると考えられる。