ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』 : クルーソーの合理的性質とその周辺
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概要
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Robinson Crusoe(1719)が作品として持つ意味については、これまで様々な角度から解釈がなされてきている。たとえば、この作品の背景と解釈についての問題点を単著にまとめた、パット・ロジャーズ(Pat Rogers)はカール・マルクス(Karl Marx,1818-83)の『資本論』(DasKapital,1867)との兼ね合いからホモ・エコノミクス(経済人)としてのクルーソーの側面を、そしてピューリタン的性質との関係から宗教人、つまりはピューリタンの典型としてのクルーソーの姿、そしてそのアレゴリーとしての意味についての章をもうけている。ポール・ハンター(J. Paul Hunter)やスター(G.A.Starr)は、作品を当時流行した精神(信仰)的自叙伝(spiritual autobiography)や悔恨の物語の系譜のなかにとらえて、宗教的意味を寓意として盛り込むという18世紀の小説に見られる特質との関連性からこれを論じて注目された。またジョン・リチェッティ(John Richetti)はデフォーのフィクションが歴史的、伝記的研究からでは説明がつかないようなエネルギーを有しているという印象から、者の創造力が作品に与えている統一性の根拠を探ろうとして、エゴセントリックともいえる自我をもったクルーソーの人物像を読みとっている。いずれにしても、デフォーが作品に盛り込んだ問題は単一、かつ同じレベルのものではないと考えて作品を読む方が混乱を招かないかもしれない。クルーソーの存在感が、無人島での生活という極限状況において発揮されている活発な生産的行動によって与えられていることは間違いないとしても、この作品においてデフォーが創造した人物像は、経済人クルーソー一辺倒といったものではない。そこで筆者が興味を持つのは、この合理的性質の他にクルーソーの行動の裏に見えかくれしている特質が、これと具体的にどのように関連し、結果としてクルーソー独特のidentityが形成されているかという点である。本稿ではこの点を中心に、クルーソーの人物像を考察してみようと思う。
著者
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