文化空間としてのレコード店 : 輸入レコード店『パイド・パイパー・ハウス』の事例を中心に
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概要
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本稿は、輸入盤レコード店「パイド・パイパー・ハウス」(以下PPH)の事例を通して、レコード店が持つ小売店としての機能以上の文化的意味を探るものである。 文化産業において、生産者と消費者の関係は直線的に結ばれているのではなく、社会的に循環しているということは、既に多く論じられてきた。こうした議論においては、小売店の役割は、単に生産者と消費者の受け渡しをするだけでなく、その循環に積極的に介入しているものと位置づけられる。特に、日本の事例についてみるならば、1970年代後半の輸入レコード店の役割は極めて重要であった。本稿では、そのなかでもとりわけ影響を持っていたとされる輸入レコード店PPHをめぐる文化空間を、代表をされていた岩永正敏氏へのインタヴューを中心にしながら、明らかにしていく。 1970年代後半、変動相場制などを社会的背景としながら、輸入盤の価格が著しく低下した。しかし、輸入盤を選択的に購買する消費者層のなかには、単に国内盤よりも廉価であるという理由からそれを消費するのではなく、輸入レコード店で輸入盤を購買する行為自体に文化的意味を見いだすものがいた。こうした消費者にとって、 とりわけ象徴的な店として位置づけられていたのが、PPHである。 PPHのレコード店としてのあり方は、当時においては、極めて異質であった。まず、その商品構成が、ジャンル等の体系化よるものではない。また、音楽業界関係者が集う社交場としての機能を持つ。さらに、PPHをひとつの拠点としながら、音楽生産へも直接関わるような実践が行われる。こうした特殊性は、スタッフたちがレコード店を、文化を発信する場所=「メディア」として認識していたことに基づく。 以上のように、PPH をめぐっては、小売店として以上の文化性が念頭におかれた諸実践を行われており、それが、消費者たちにとっての象徴性を枠づけていたといえる。 1970年代後半から1980 年代にかけての、PPH をめぐる文化実践は、日本のレコード聴取・消費をめぐる音楽文化の系譜をたどる上でも、極めて重要である。本稿で論じた諸相が、それ以外の時代、文脈の実践と、どのように接続していくのかを検討することが、今後求められる。