〈湖に映る星〉 : シューベルト歌曲における天上(理想)と地上(現実)の関係をめぐるロマン主義的自然観についての一断章
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概要
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本稿は、〈自然との合一の欲求〉という主題を切り口として、フランツ・シューベルト(1797〜1828年)の歌曲に見られる「ロマン主義」の諸相を考察するものである。ノヴァーリスやシュレーゲル、シェリングといったドイツ・ロマン主義の哲学者たちは、近代人は「自然」に浴することで、失われてしまった「全体性」ないし「精神」を再び獲得しうるという「自然哲学」を展開していた。これら同時代の思想を参照しつつ、シューベルト歌曲に見られる自然観の変遷に新たな光を当てるのが、筆者の目指すところである。 自然哲学とシューベルト歌曲の結節点として本稿が着目するのは、〈湖(海)に映る星〉という主題である。すなわち、自然的事物の究極的な存在である星(天上の理想)が、手を触れることさえできる湖(地上の現実)に映っているという事態を、〈自然との合一〉の端的な体験の可能性として見るのである。以上の論点を、特にフリードリヒ・シュレーゲルの思想を参照することで示した後、本稿は、シューベルトの「ロマン主義時代」(1817〜23年頃)に書かれた歌曲と、「ポスト・ロマン主義時代」(1825〜28年)に書かれた歌曲を一つずつ分析し、そこに表明された自然観ならびに詩と音楽の関係を考察する。 ポスト・ロマン主義時代の《可愛い星》(D 861、1825年)においては、シュルツェという特異な詩人の世界観と照応し、もはや「自然」は死に絶えている。シューベルトの音楽において、その絶望は数々の突出的語法で焦点化されつつも、全体はきわめて整然とした変形有節形式のうちに安定している。本稿は特にこの点に着目し、自然の喪失という絶望を形式上の所作によってむしろ穏やかな常態として描き出す後期シューベルトの自然観を浮かび上がらせた。一方で、ロマン主義時代の幕開けを告げる《湖上にて》(D 543、1817年)の分析で示されるのは、シューベルトが詩人ゲーテの古典主義的な--天上と地上を隔てたうえであくまで地上の憩いとして「自然」を捉えるという--ナラティヴを侵食しつつ、湖を媒介として天上界の星を地上に浸透させることを望んだ、その「脱構築的」(L. クレイマー)手つきである。これら二つの歌曲の分析を通して、シューベルトの創作のなかできわだった対象をなす二つの自然観、ならびに詩人のメッセージに対するシューベルトの積極的な介入の様相が浮き彫りになる。 この〈湖に映る星〉という切り口は、音楽上の処置だけでなく、同時代の思想との密接な関連から、詩人の思想との相互関係のもとにシューベルト歌曲を再考できるという利点を持つ。この意味で本稿のパースペクティヴは、「シューベルトのロマン主義的歌曲」の一つの重大な局面を切り取るのに寄与しうるものであろう。
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