『辨顕密二教論懸鏡抄』を中心にみた済暹の『釈摩訶衍論』解釈
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概要
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『大乗起信論』の注釈書である『釈摩訶衍論』には,真理を認識できるかという問題に対して十種の心量を用いて説明している.十種の心量とは,八識心と多一識心,一一識心である.このうち初めの九識心に関しては真理を対象とできず,最後の一一識心のみが対象にできると説く.この多一心と一一心は『釈摩訶衍論』独自の説であり,その解釈は一通りではない.例えば,33種の法門の構造から見れば,多一心と一一心は第二重の生滅門と真如門に位置づけられる.一方で,真理を不二摩訶衍と見れば一一心は不二摩訶衍と関係する心になり,第二重よりも上位となる.空海は後者の立場から不二摩訶衍を密教と捉え,一一心を不二摩訶衍と関係づけた.また,『釈摩訶衍論』の五重問答を用いて十住心の立場から三自一心摩訶衍を華厳と解釈した.この空海の解釈は,単独では問題とはならないけれども,『釈摩訶衍論』と一緒に考えたとき矛盾が生じることとなり,最初にこの問題に直面したのが済暹である.済暹は空海の『辨顕密二教論』の注釈を書いたが,そこでは多一心を三自一心摩訶衍に,一一心を不二摩訶衍と解釈している.一方『釈摩訶衍論』の注釈書では,空海の五重問答の解釈に沿って,多一心と一一心を共に第二重に位置づけた.前者は空海の『辨顕密二教論』と『秘密曼荼羅十住心』の解釈にしたがい,後者は『釈摩訶衍論』の解釈にしたがっている.結局の所,済暹はこの二書を見る限りにおいては,空海と『釈摩訶衍論』の間の矛盾を解決できてはいない.しかし,この事実は済暹の先駆者としての性格を端的にあらわしているともいえよう.最終的にこの問題が解決できたかどうかは,他の著述を見ないといけないが,それについては今後の課題としたい.
- 2008-03-25
著者
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