エマニュエル・ムーニエと人権宣言(丸山宣武教授退休記念号)
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概要
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エマニュエル・ムーニエは日本ではあまり知られていないが、フランスではよく知られたキリスト教思想家であり、とくにポール・リクールに多大な影響を与えたという点で今再び注目を浴びるべき人物になって来ていると考えられる。ムーニエはエスプリ運動と言われる活動の中心人物であり、1948年に世界人権宣言が国連から発表される前に、何年もかけてフランスきっての優秀な人物たちと共に人権宣言の構想を練っていた。この人権宣言は、1789年のフランス革命後に発布された権利宣言を基盤としたもので、世界人権宣言には直接には何の影響も与えていないのだが、内容を読めば、かなり似た内容を多く含むものである。フランス人権宣言の元を辿れば、かなり北アメリカのバージニアやニューハンプシャーなどの連邦の憲法を典拠にしているが、全体としては18世紀のフランス思想の特徴を表わしているといえる。しかし、これを意図の点から見るならば、ムーニエの人権宣言とはまったく異なるものと言うべきだろう。フランス人権宣言の意図は、国家を相手に、個人主義的な国民がその権利を要求するものであった。ところが、ムーニエの意図は国家自体を共同体として人格化していく事にあった。そこで、我々は、この人権宣言を、「他者のための人権宣言」と呼ぶべきなのではないかと考えるのである。人権というものがとりわけ問題になるのは、ある圧力を受けて自由ではないと感じている人々が自らの権利を主張する場合にであり、革命と呼ばれる社会現象は一般的に、ある権力から、それ以上に強大になった権力への転換を意味する。この場合には、革命者は自分の利益を追求するのだから、権力が入れ替わっても、他の人々の人権を踏みにじることになる。たとえばフランス革命の場合には、王家に属する女性や子供、無実の聖職者の多くがギロチンで処刑された。この場合、宣言され、保護されたのは必ずしも「人権」なのではなく、市民の国家に対する自由の権利なのだと言える。ところが、もし圧力を受けている人々がいかなる権力も持たない声なき人々の場合、誰かが声を代わりにあげなければならない。この声をあげる人は、決して自分の権利を求めるのではなく、他者の権利を求めて叫ぶのだ。ムーニュの目的は、人格主義的革命であった。彼は他者の人権のために時の権力と戦い、ハンガーストライキをして病院に収容された経験を持つ。彼が45歳という若さで突然死んでしまったのも、今の言葉で言うなら、過労死なのである。戦争直後、権力に面と向かって逆らう事を避けていた教会側からは批判され、疎外されたにもかかわらず、彼の生き方に、真に他者を愛し、他者のために燃え尽きたイエス・キリストに従う者の姿を見出すことができる。
著者
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