日本印人研究 : 小曽根乾堂と星海
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概要
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本稿で取り上げる小曽根乾堂は(一八二八-一八八五)(文政一一~明治一八)長崎の人で、諱を豊明、字を守辱、通称を栄、幼名は先に六郎太、後に六郎と称した。乾堂はその号であり、居所を鎮鼎山房といった。乾堂といえば、明治四年(一八七一)勅命により「御璽」・「国璽」を刻したことは、夙に有名である。が、この事以外の事跡は埋没してしまっている。乾堂の時代を先取りした開明思想家としての思想と実行、文人としての各種の業績と作品、また社会・教育面での貢献など、彼の果たした功績は大きい。本稿では、乾堂の嫡子星海の事蹟に関して言及する。また乾堂が星海に宛てた書簡を紹介する。明治後期の社会情勢や、中国との貿易の様子、小曽根家が社会に果たした歴史的一端が読み取れ興味深い。
- 2008-12-19
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