カント哲学前批判期の解明(その2)
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概要
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カントは、1760年代前半の独断的、論理的形而上学期において、伝統的なドイツ形而上学に依存しつつも、真に自立した形而上学者の立場を表明する。統いて1760年代半ば以降の経験的、懐疑的形而上学期では、ドイツの伝統的哲学と関わりながらも、研究に社交的文明精神を導入することにより、人間学的観察と道徳的原則の探究を行うものとなる。このようなカントの新しい思想的「変化」は「カントにおける一つの革命」と評される。本論で取り上げる著作『美と崇高の感情の観察』1764年においてカントは、当時ドイツで紹介されていたイギリス道徳哲学、とりわけハチスンの道徳感情論を取り上げ、伝統的な哲学者としてよりも観察者の眼をもって「美と崇高の感情」に現れる様々な諸相を、美学的、人間学的に分析する。だが文明化した社会の「多様性のただ中の統一性」を観察するイギリス道徳感情論にカントは満足せず、文明化した人間社会を批判するルソーの思想に出会い、新たな転向を迎えるものとなる。カントがルソーの思想を取り上げる著作は『美と崇高の感情の覚書』1765年である。この著作は、前著作『観察』の余白にカント自身によって書き込まれた種々の断片的な文章により構成されている。そこにおいてカントは、ルソーがいうように堕落した文明を批判し、単純で自足した自然にもどることを、提唱するのではなく、文明化した社会を人間、自然、自由、および意志の完全性により啓蒙し、新しい道徳的原則を、志向しようとするものである。