キャプラのブラック・コメディ : 『毒薬と老嬢』の家族と理想的アメリカ社会
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概要
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フランク・キャプラは、アメリカ合衆国の善性を謳い上げる監督として知られるが、1941年制作の『毒薬と老嬢』は他愛ないブラック・コメディとして扱われることがほとんどである。しかしこの映画は、同年制作の『群衆』の直後に撮られ、アメリカ社会の理想の行き詰まりを示した『群衆』の後遺症というべきキャプラの幻滅を隠している。ポピュリズム政治と個人の自由、メディアと全体主義の危険な関係は、『群衆』に明らかである。ナチスと戦うべきアメリカ自体に、全体主義、帝国主義化の傾向がある。『我が家の楽園』に見られるようなキャプラの理想的な家族は、『毒薬と老嬢』ではパロディ化されて変質している。キャプラは『毒薬と老嬢』で不安を笑いで紛らわせ、既存体制の秩序をかろうじてつなぎ止め、第2次世界大戦後の『素晴らしき哉、人生!』で、再び理想的家父長を取り戻したように見える。彼はイタリア系移民のアメリカ人として、第2次世界大戦を挟んでアメリカ民主主義の理想を追求した。しかしキャプラは、強力な父権を警戒する一方、平等な市民たちの政治的団結を信じ切れず、ヘテロセクシュアルな家族制度の家族愛に頼らざるを得ない。『毒薬と老嬢』は、彼が抑圧した懐疑をグロテスクなコメディに変えているが、この論文は、キャプラのアメリカ社会ならびに家族観に入った亀裂を、ジェンダーと国民国家の視点から探るものである。
著者
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