民国成立期(1912-13)中国とダライ・ラマ政権 : ダライ・ラマ帰還と和平交渉
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概要
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20世紀初頭,清朝の「近代化」改革運動がチベットに及んだ。清朝は従来の仏教を基とした緩やかな関係を破棄して支配の確立を目指し,ダライ・ラマ13世は2度目の亡命を余儀なくされた。辛亥革命の混乱の中で起こった中国側の略奪に抗して,チベット側も蜂起すると,ダライ・ラマは帰途につき,「近代化」の意志を深めていった。中国側は当初軍による統治姿勢を崩さなかったが,それがイギリスの干渉などで困難になると,清末以前の関係を利用してチベットへの影響力を維持しようとした。これに対しダライ・ラマは中国側に領土要求を行った。そこには彼の中の「近代国家」意識の萌芽が見られる。その結果両者の関係は「領土」を巡る対立となった。
- 2008-08-25
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