「死」を問うことの意味 : 私たちは近代を前史とすることができるか
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概要
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自分らしい死を自らに取り戻すこと、言い換えれば、自己決定権に基づく権利として尊厳死をとらえることの大切さが語られる今日、このことが重度の障害者や老人を脅かすことになるのではないかと危惧される。社会に役立つ人間としてあらねばならないという強迫観念が人々の間にあることが、その原因として考えられる。本稿において、筆者は、このような意識の在り方が近代思想の特徴であることを明らかにしようとする。そこでは、意志の力によって生産性を無限に高めることに価値が見いだされる社会において、健康もまた財として扱われていることが説かれる。強い者にとっての豊かな社会の実現は、弱い者にとって、たとえ豊かさの分け前は与えられるとしても、無慈悲な社会社となりうる可能性がある。そのような社会からの脱却を展望するためにも、死の学びは、私たちにとって不可欠なのである。私たちの際限のない欲望を制するため、そして、私たち人間はこの現実世界に住まわせてもらっている存在者であることの認識を共有するために。
- 2007-09-20