"The Shades of Spring"に関する一考察
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概要
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「春の陰影」(1914)は、D.H.ロレンスの初期の短編小説の一つであるが、次の3つの理由から注目に値する作品である。彼自身の手によって改稿や改題が入念に6回なされた後で現在の形で出版されたこと、彼の主要な長編小説の世界と類似する世界を展開していること、そして、そこには30種類もの植物が異なる2通りの<象徴>的な形で登場することである。最後の点が、特に興味深いものである。この小論では、「植物描写における象徴の二重性」と「直感」という、密接に関係し合う2つの観点から「春の陰影」を考察する。その「植物描写における象徴の二重性」を簡潔に述べると、次のようになる。作者は、多くの種類の植物が持つ宗教上および民俗上の伝統的な<象徴>を意図的に用いて、作品の登場人物間の人間関係とプロットを暗示させ、それらを語りによって裏付けする。他方では、彼は幾つかの場面で植物を美しく生き生きと描く。そこでは、主人公サイソンは思考とは無縁に植物の美に深く感動する。それらの生き生きとした植物描写は、読者の五感にも訴えかけ、1つに結びつき、ついには1つの<象徴>を生む。そこには、それぞれの植物を個別に<象徴>として描こうとする作者の意図は見出せない。しかし、小説全体を通してみると、それらの幾つかの植物描写は一つの<象徴>となっている。それは、過ぎ行く時、春の中で土に育まれる植物と1人の女性の輝かしい生命を<象徴>している。そのような植物の二重の<象徴>は、旨く働き合い、これもまた作者の語りによって裏付けされながら、テーマを伝える。それは土に育まれるどんな生命も等しく賞賛され、それぞれがそれぞれの世界を持ち、その独自の世界は他の何ものによっても踏み込まれるべきではない、というテーマである。さらに、「植物描写における象徴の二重性」には、この作品の価値に加えて、ロレンスの作家としての豊かな才能も見出される。その<象徴>における二重性の1つは、宗教上および民俗上の伝統的なものであり、人間関係とプロットを暗示させるために意図的に用いられている。そして、それは作者が小説を書くための熟練した技と博識を有する並外れて知的な英国人作家であったことを伝える。他方では、幾箇所かでなされる生き生きとした植物描写全てが結び付き、1つの<象徴>を生み出す。それは、作者が豊かな「直感」を備えた人であったことを伝える。「直感」によって、人は誰でもどんな生命の輝きをも真に知ることができる。作者は「直感」によって、ありとあらゆる生き物の生命の輝きを認識し、「春の陰影」の主人公であるサイソンと彼のかつての恋人ヒルダも、「直感」によってそれらを認識することができる。今日、世界中で欧米化が極限的な状況にまで広まっている。それは、人間の経済的な発展をもたらしたが、同時に、あらゆる生命に大きな苦しみをもたらしている。約百年前に、英国人であるロレンスは、欧米文化を「直感」に欠くものとして批判し、「直感」が世界の望み多き将来への鍵であると信じた。我々も、知性や伝統的な知識を最善に生かしながらも、他方で、我々の「直感」を再生させることによって、そのような苦しみを軽減できるように思われる。これが「春の陰影」が我々に示唆することである。
- 2008-03-01
著者
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