ブラジルで日本人を人類学する : 「エスニック日本論」への道(<特集>「人類学at home」-日本のフィールドから-)
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概要
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日本の人類学者は日本研究にあまり本腰を入れず,民俗学者は異文化研究をしない。従来日本移民や日系人の研究は蔑視されてきた。人類学は異文化研究だと言われてきたが,自文化研究は異文化研究と一体なはずである。私は異文化としてのブラジルを人類学しながら,30年以上にわたって日系人研究をも継続してきた。海外で日本人や日系人を人類学することに何か積極的な意味があるだろうか。従来異文化接触や移民研究は文化変容論と国民国家の枠組みから解釈されてきたが,私は現地調査から当事者の状況解釈に対応した主観的意味の与え方やそれへのアイデンティティ,エスニシティからの接近法がより根源的だと了解するようになった。この研究法は構造研究へのひとつの挑戦ともなる。このような視角はエスニック日本人という大きな構成員を本来的に抱えている多民族国家ブラジルで,日本人としてこの社会を人類学することから,私が学び取ったものである。「日本人」カテゴリーの現存する多民族社会で私が人類学者としてエスニシティを現地調査するには「日本人として」相対する以外に方法はないと私は了解した。文化人類学の最大の手法は「私」である。ブラジルのある産業都市でエスニシティ研究を私はこのような視座から「エスニック日系人という窓」をとおして調査した。このようなラテンアメリカ研究,ブラジル研究,日系人研究から私は自文化としての日本を解釈する視角をすこしずつ培養し,「エスニック日本論」というものを構築しようとしている。「日本の人類学」には「民族」というものへの強い独自の思い込みがあり,エスニシティのようなパラダイムは直輸入的なものとしてでないとなかなか定着し難い。
- 日本文化人類学会の論文
- 2001-03-31