在米アラブ系知識人の自伝における語りの形式 : テキスト・パラテキスト・コンテキスト
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概要
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本稿は三名の在米アラブ系知識人の自伝作品の異同を、その「語りの形式Narrative Discourse」の面から検証しようとするものである。イーハブ・ハッサン(1925年〜)、エドワード・サイード(1935年〜2003年)、レイラ・アフマド(1940年〜)は、生没年、性別、家庭環境、宗教、専門領域を異にはしているが、いずれも幼少年・少女期をエジプトで過ごし、裕福な家庭に育まれて現地人住民とは隔絶した特権的な生活を送った共通体験を持つ。三者はともにフランス語、英語を常用語とし、家庭教師に教えを受けたり、英国式学校に通って欧米流の教養や思考法を身につけた。年齢差を越えて彼らの生活はカイロで交錯している。ハッサンはアメリカ留学後、アフマドの父親の監督下で働くことを期待されており、またサイードの妹の一人はアフマドの同級生であった。実質的支配者たる英国人専用の排他的なゲジラ・スポーツクラブに関する共通した感慨を、ハッサンとサイードが作品中で吐露しているのも興味深い。さらにその家庭や教育環境から派生する古典アラビア語の知識の欠如を、ともに自伝中で明らかにしている。後年、著者たちはアメリカに渡り、何れもその専攻領域において世界的な評価を受ける学者となった。本稿はこのような特異な共通体験を有する三者の自伝作品の内容・形式を、人格形成の主たる要素を占める家庭環境、性、宗教の三面に焦点を当ててその異同を探ろうとするものである。解釈に当たっては、近年の「物語論Narratology」の成果の一つである「パラテキスト」と「インチピット」分析を援用する。そして自伝という極めて個人的な著述と、三者が信奉する理論との照合を最終的な目標とする。ハッサンはポスト・モダニズムのアメリカへの導入者として知られ、サイードはポスト・コロニアリズムを経て、知識人の個人としての責務を問うアマチュアリズムを主張する立場を鮮明にしている。またアフマドは、イスラムやアラブ女性に関する欧米フェミニズム論者のステレオタイプな思考を糾弾する学者として名高い。このような学者としての立脚点の相違が、どのように自伝作品に反映され、個々の語りの形式と照応しているのかを考察する。
- 2007-07-31