陶行知の生活教育における芸術(3) : 彼の民主的・大衆的・科学的・創造的「芸術性格」について
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概要
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本論文は「陶行知の生活教育における芸術(1)」と「陶行知の生活教育における芸術(2)」の続きである。前二回では、陶行知(1891-1946年)の生活教育における芸術を、彼の生活教育の中の歌、童話と劇で教育すること、そして、民国時代の有識者の中国新教育一般における「芸術」論は、陶行知の生活教育における芸術と一緒にどう展開していたかを見てきた。今回では、陶行知の教育実践で作られた民主的・大衆的・科学的・創造的性格の芸術作品を分析し、彼の生活教育の「芸術」を論じたいと考える。なぜならば、陶行知の芸術作品を創造する原点と方針となっていたのは、この民主的・大衆的・科学的・創造的「芸術性格」のことを強調し、作品のレベルや作品の生命力がどのくらいあるかの判断の基準も、この「芸術性格」で計るのであった。陶行知は、アメリカのイリノイ大学の政治学修士号とコロンビア大学教育学「学生監」の資格を取得した後、1917年に中国へ戻り、ほぼ30年間の教育実践により、数多くの文学芸術作品を創造した。彼が作った小説、詩、劇作など、全部350篇以上あり、陶の作詞で作られた歌曲が41首ある。中国の物語と寓話と古詩は陶によって英訳されたものが今までに計48篇、英語から中国語に訳された詩が21篇ある。また、彼が編纂した初等教育段階の国語・算数・天文学の教科書にも彼が創造した物語や詩が多かった。それらの芸術作品は全部、陶が自ら大衆教育の実践の積み重ねにより創出し、そして大衆教育のために尽くしたものである。陶行知は芸術作品が民主的・大衆的・科学的・創造的な性格をもつべきであると主張しながら、同時に実践で教育学研究を積み重ねてきたのである。民主的な主張というのは、打倒された清王朝より民主国家になった時代に、封建的体制・思想まだ残っていた。これに対して「芸術創造」は民主的性格にするべきであった。または、●少数の貴族や権力者の利益だけを満足させて変動している社会に対して、大衆的性格の「芸術」をするべきである。●不合理の風俗習慣・文化伝統と混同した迷信に対して、科学的性格の「芸術」を創出すべきである。●「芸術創造」なら、閉鎖的・保守的・無気力・怠惰なものはいけない。創造的性格で「芸術活動」をしなければならない。以上の「芸術性格」で表現した歌の代表作『手脳相長歌』(1931年作)『小先生歌』(1934年作)『自立立人歌』(1935年作)を前回紹介したが、ここでは、民主性・大衆性・科学性・創造性のそれぞれに重点を置く「芸術」作品を性格別に分け、分析してゆきたい。
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