日本とドイツにおけるテレビ討論 : 討論の日独対照分析の試み
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概要
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西洋の「討論」という概念は1870年代に日本に入ってきたが,日本とドイツでは討論のスタイルに違いが見られる。本論では日独のテレビ討論を資料に討論の時間的,空間的構成,討論者間の関係性などに焦点を当てて両者の相違点を浮き彫りにする。日本の場合,議論の展開を遮る要素が構成上,および,討論参加者の言語行動において見られた。構成面では明確な空間的境界(討論参加者グループ別の座席位置)や時間的境界(議題の計画的移行)が討論の形式性を高めている。ドイツの場合,議題は内容に即して移行し,境界線は日本のように形式的拘束を受けず連続的であった。言語行動面では,ドイツの場合,命題中心に中立的に話そうとするため,抽象的に議論が進められる傾向があるのに対し,日本の場合,討論者間の関係性が重視される傾向が強かった。たとえば,敬語や「お願い」表現は討論相手(=グループ)の外集団化を明示するとともに,形式上相手を高めるため,対抗的関係の緩和や問題の回避に利用されていた。また,日本の討論において特徴的であったのは,第三者の介在である。討論の参加者ではない,したがって,討論の運びには直接影響力を持たない不特定多数の「国民」にお願いしたり,意見を「国民」に代弁させるなど,各討論グループは「国民」を自己の主張に利用していた。現場にいない,匿名の第三者を介在させると討論者間の直接,かつ,個人的な意見交換は阻まれることになる。今回は構成面および討論者間の関係性を中心に見てきたが,次は討論内容に踏込んでその組織的メカニズムについて分析を試みたい。