大原社会問題研究所の設立と米田庄太郎 (西田毅教授古稀記念論集)
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概要
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20世紀初頭の日本は国際的には列強の一員として認められたが、国内には解決すべき社会問題を抱えることになった。政府は内務省に救護課や救済事業調査会などを専門的部局を設け、それに対応しようとした。一方、民間では、倉敷紡績会社社長である大原孫三郎は、上層階層の道徳責任感を背景にして、社会問題解決に寄与するため大原社会問題研究所を設立した。1919年のことであった。研究所の指導者としては、米田庄太郎(京大社会学)、河上肇(京大経済学)、高野岩三郎(東大経済学)などとコンタクトがとられた。彼らはそれぞれ社会問題の解決を学問の目的と考えていた。組織の幾度かの改変の中で、東大経済学部を辞職した高野の研究所での指導が認められ、米田庄太郎らの辞職にいたる。本稿では、これらの経緯と、研究所の設立に関与した人々の構想を検討する。
- 同志社大学の論文