加米国境の構築と越境者たち : 日本人とカナダ人移民の越境を中心に
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
カナダとアメリカ合衆国の間を走る5000キロをこえる国境は、「世界で最も長い無防備な国境」という呼称が示すように、ごく最近まで人々が比較的自由に往き来することができる国境として知られてきた。歴史的に安全かつオープンな国境地帯というイメージの背景には、ケベック州を除く加米両国に住む人々が地理的、文化的、言語的、宗教的に高い同質性を備えている点が指摘されている(Randy William Widdis,1998 ; Bruno Ramirez,2001 ; Erika Lee,2003)。しかしその一方で、まさにこうした加米国境の特徴が、19世紀末まで両国の政策立案者や入国管理官の盲点となり、また後世の研究者にとっても見落とされがちな、いわぼみえない国境としての存在にっながってきたともいえよう。さらに、こうした加米国境の不可視性は、今日不法移民の代名詞として語られることの多いメキシコ国境から合衆国への入国とは対照的に、加米国境を越えた数百万人ともいえる移民たちをも見えない存在としてきたのである。本稿では20世紀初頭のこの見えない(あるいは見えにくい)加米国境を越えた二つの集団、カナダ人と日本人移民・越境者に焦点をあてる。二集団の越境が示唆するのは、どのようなダイナミズムなのだろうか。米国連邦移民局が作成した記名式史料(Subject CorrespondenceとSoundex Index to the Border Entries)と移民に関する米国連邦産業委員会の報告書の分析からは移民、国境、そして国民国家の重層的な関係を垣間みることができる。以下ではまず、カナダ人と日本人移民にとって加米国境が、いつ、どのように「見える国境」となったのかをたどる。次いで、加米国境に関する3つの機能-トランスナショナルな政治の舞台として、国家による統制の場として、そして個人による抵抗の場としての機能-のうち特に前二者に注目し、加米国境の構築過程と後者に穴を穿つ行為としての人々の越境の営みの一端を論じたい。
- 愛知県立大学の論文
愛知県立大学 | 論文
- 祝辞(山田正浩先生 近藤譲治先生 退職記念号)
- 尾張名古屋の律令学 : 稲葉通邦『逸令考』を中心に(山田正浩先生 近藤譲治先生 退職記念号)
- 『遷幸部類記』についての基礎的研究 : 影印・翻刻篇(1)江記・春記・小右記
- AMIによる勤労看護学生の健康調査
- 台湾における厨川白村--継続的普及の背景・要因・方法