非理性的芸術観の歴史的・体系的研究の可能性について : 1800年頃のモーツァルト伝記を例に
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概要
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どの研究にも論理的な推論の打ち切られる部分があり、それは研究やその対象のあり方によっては説明されず、その外の文化的・社会的合意に基づいていると考えられる。論理的な推論が打ち切られる部分を反主知主義的な境界線という。非理性的領域の存在についての合意がある時、反主知主義的な境界線は、合理的な研究と非理性的であるとされる領域の境界線にもなる。この境界線の位置には変動が見られ、この変動を追究することによって、非理性的な世界観が特定され、歴史的・体系的研究の対象になりうると考える。こうした研究の例として、本論文は1800年頃のモーツァルト伝記に見られる、モーツァルトの音楽についての考え方に起きた反主知主義的な境界線の変動を詳しく検証することにする。18世紀末のモーツァルト伝記には、反主知主義的な境界線が作曲学のいう「純粋書法」の中にあったといえる。「純粋書法」に基づいていると主張されながらも、「純粋書法」の概念によって説明されない領域が存在すると考えられ、それが学習の対象になることなく、真似できぬ天才の活躍が現れる場だとされたのである。それに対し、19世紀初頭からは「純粋書法」の理想が消え始め、そのいくつかの規則は「機械的」であるとさえ思われるようになる。天才の傑作は「純粋書法」の存在によっては説明されることがなくなり、モーツァルトの天才とは直感的に知ることであるとされ、音楽専門的な知識は要求されなくなった。つまり、反主知主義的な境界線が完全に「純粋書法」外のものとなったのである。それは芸術観における「非理性的領域」の拡大、あるいは反主知主義の強化として判断される。しかし他方では、それが音楽の「言語性のパラディグマ」を超え、現代的な構造分析ができる前提でもあった。