茅誠司におけるWeiss理論の受容の過程 : 日本物性物理学史の一環として(修士論文(1988年度))
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概要
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今日,強磁性はWeiss理論に基づいて理解されているが,日本における磁気研究の指導者であった本多光太郎はこれを否認しつづけた。分子磁場を仮定するWeiss理論を認めない本多の下にあった若い研究者たちが,どのようにしてWeiss理論を受け容れ,近代的な磁性研究者としての道を歩むに到ったか,その過程を,本多スクールにあって比較的早くWeiss理論を受容し,北海道で新しい磁気研究の流れを作った茅誠司において見る。茅誠司の研究者としての本格的なスタートは,1926年の東北帝国大学金属材料研究所で行った強磁性単結晶の研究である。この時期の茅は,1916年に提出された本多-大久保理論に基づいて実験結果を解析していた。その後,北大就任を前提として,1928〜1930年にドイツに留学する。この時に量子力学の洗礼を受け,Heisenbergの強磁性の論文の評判を知る。帰国後北海道帝国大学に移るが,これは本多スクールからの脱却とともに茅スクールの設立を準備するものであった。ここで茅は本多の直接的な影響から離れ,金研時代よりも進んだ鉄単結晶の研究,order-disorder問題としてpermalloyの研究をする。また,群論を駆使した難解なHeisenberg論文(1928年),spin waveのBloch論文(1930年),Ni強磁性のSlater論文(1936年)を勉強し,"磁性体論"の講義を,これらの論文を紹介しながら展開する(1936〜1937年)。この講義内容や茅の著作などから,茅はWeiss理論の量子力学的裏付けは,分子磁場の原因が交換相互作用にあることを明らかにしたHeisenberg論文と,Fe,Ni,Coの強磁性を理論的に示したSlater論文にあると考えていたことがわかる。しかし,茅が本当にWeiss理論を納得する上では,Bragg-Williamsの協力現象の理論が大きな役割を果たした。常磁性-強磁性転移に相転移の概念を導入することを金研時代から考えていたことを示す文献的証拠があり,ドイツでNi_3Mnの強磁性を発見した茅にとってpermalloyの研究に進むのは,ある意味では自然な成り行きであったのだが,その研究過程でBragg-Williams理論における第1近似がWeiss理論と同じ構造を持つことがわかった。そして,このことが茅誠司のWeiss理論の受容に決定的役割を果たしたのである。
- 1989-05-20
著者
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