歴史的唯物論と分業 : 分業=労働関係・生産関係説の検討
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概要
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マニュファクチュア時代の最後の経済学者スミスは『国富論』冒頭でピン作業場内の分業とそれの労働生産力上昇効果を説いたが,現代の自動車工場でも分業は大規模で行われている。他方,自動車産業,繊維工業,農業などの間に社会的分業も行われている。これらの分業を基軸にすえてブハーリンは『歴史的唯物論』を1921年に出版した。本書は,ソ連指導部の1員,コミンテルン議長という彼の地位と権威と相まって版を重ね,各国語に翻訳され,世界に大きなインパクトを与えた。日本では広島訳はベストセラーになった。しかし,純粋に理論的に見れば,第一に,彼の歴史的唯物論の根幹に社会的分業=生産関係=社会的均衡条件というワルラス均衡理論的な致命的欠陥がある。第二に,彼の工場内分業=労働関係および生産関係説については,資本家が労働市場で一人ひとりの労働者と雇用契約を結び,雇い入れ,分業の各環にはりつけるから,頂点に立つ資本家と部分労働者たちとの間の生産関係が成立するだけであり,労働者相互間の横の労働関係や生産関係は成立しない。第三に,ブハーリンの労働関係・生産関係の技術決定説は問題である。第四に,労働者相互の生産関係説への突然の階級関係の導入も問題である。このような二元論はプレハーノブに由来する。彼は生産関係には所有関係という狭い意味と分業のような広い意味があると言う。マルチノブはこの2元論を「社会的生産関係」と「技術的生産関係」とする。ルービンも工場内分業を生産関係とする。これらの見解は疑問である。わが国では高島善哉氏がブハーリンの分業=労働関係・生産関係説を取り入れ,ご自分の分業=生産力説と合わせて,労働関係(分業)が生産力でもあり且つ生産関係でもあるとし,当時大問題になっていた唯物史観の生産力(内容)と生産関係(形式)との統一命題に中間項として入れて,生産力→労働関係(分業)→生産関係とすれば,この統一が良く理解できると主張された。しかし,分業=労働関係,分業=生産関係,分業=生産力説がそれぞれ問題であり,より根本的には,氏ものちに「詭弁に類するまやかし」と言われるように,統一説そのものが「詭弁」「まやかし」である。