エミール・ベルナールの見たセザンヌ(3)
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概要
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本稿は「エミール・ベルナールの見たセザンヌ」の第3部であり、論文全体の第5章から第7章あたり、これをもって論文は完結する。第5章では、「セザンヌの隠された意図」を副題として、1906年9月13日付けの息子宛セザンヌ書簡を引用しつつ、実は、セザンヌがエミール・ベルナールを高く評価していなかったことを指摘する。第6章の副題は「ベルナールは公然とセザンヌを論駁する」である。ベルナールは『メルキュール・ド・フランス』誌1926年5月1目号に発表した論考「セザンヌの誤謬」において、セザンヌの芸術論を批判する。そこで著者は「自然に基づいた古典主義」を否定することになるのだが、かつて1907年の論文に登場するこの新古典主義が、そもそもセザンヌの思惟というよりもベルナールの解釈という性格をもっていた。それは、セザンヌのものであるとして、ベルナールその人によって提出されたものであって、事柄は決して単純ではない。本章では、その問題を論じる。第7章の副題は「セザンヌ晩年の芸術の特質」であり、ベルナールの変貌の理由を3つの視点から論じる。その視点とは(1)ベルナールのふたつの論文(1907年と1926年)のあいだの違いであり、(2)セザンヌの作品の成熟期と晩年のあいだの違いであり、(3)自然にたいする二人の芸術家の態度の違いである。エミール・ベルナールのセザンヌ理解にはさまざまな問題があり、彼は決してセザンヌを正しく理解したわけではない。とくに晩年のセザンヌの作品を彼は理解できなかった。けれども、私たちは彼の論考と、ベルナール宛セザンヌ書簡を通して、19世紀の画家セザンヌの姿を垣間見ることができる。ベルナールがセザンヌ芸術の真に独創的な性格を理解できなかったことを忘れてはならないが、そのことを前提として、ベルナールのセザンヌ理解の限界を十分に配慮しつつ彼の論考に触れるとき、エクスの画家の生き生きとした姿がよみがえってくる。(挿図の出典は本文注釈の通り。)
- 2007-03-31
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