審理手続における裁判官と当事者の役割分担に関する一考察 : 弁論主義と裁判官の釈明権行使の関係を中心に
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概要
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日本の民事訴訟手続の根幹をなす弁論主義の原則は、当事者の「権能」と当事者の「責任」のどちらを定めたものであるのか。このような疑問を軸に、弁論主義を補充あるいは修正するものとして説明される裁判官の釈明権行使について、ドイツ法を参考に検討を試みた。日本には、釈明権といわれるように、裁判官の権限として規定されているが(民事訴訟法149条1項)、ドイツでは日本とは異なり、釈明を裁判官の義務とする規定が存在する。比較対象として取り上げたドイツ民事訴訟法139条をみると、事実に対する釈明だけではなく、裁判官が採用する法的観点までも釈明義務の対象とする解釈が、最近の民事訴訟法改正の際に明文化され、現在では釈明義務の範囲が広く捉えられている。それにもかかわらず、弁論主義を補充・修正するといった日本のような議論は存在しないのは、ドイツでは「法的審問請求権」という当事者の権利が法定されており、その権利を保障するためのものとして裁判官の釈明義務が位置づけられているだけでなく、さらに、弁論主義が法的審問請求権の保障に関連する当事者の「責任」として考えられていることに原因があると考えられる。もっとも、日本でも、法的審問請求権に類似する「弁論権」という概念が存在することから、裁判官による釈明権の行使が何のために求められるのかという問題は、弁論権の保障の問題として取り上げるべきであり、また、裁判官の釈明権の行使と当事者の「責任」である弁論主義とは、一方が他方を補充あるいは修正する関係にあるのではなく、ともに当事者の「権能」である弁論権を保障し、最終的には手続における当事者の主体的地位を確保するという共通の目的をめざすものとして位置づけるのが妥当であると考える。また、釈明権の内容は、「事実に対する指摘」に限らない。近時議論されている「法的観点の指摘」も、当事者の主体的地位を確保する目的のもとで行われるべきであることは明らかであるから、法的観点の指摘も釈明権の行使の一環として捉えることが望ましいと思われる。